1年以上前になりますが、
「サイエンス・サイトーク」の武田邦彦氏の回を紹介しておきます。食べ物についてはこのサイトでも農薬の問題、中国の食品の問題などを取り上げています。前シーズンには松永和紀さんの「
食品報道のウソを見破る知恵」(2008年02月10日放送)もありましたので、近いうちに取り上げたいと思っています。
・生ゴミをたい肥として利用するのが盛んだが、実は非常に「危険」。細菌、有機物として危険なものがたくさん入っているし、一般的な家庭のゴミの中には電線(銅の細い線)とか電池が混ざっていることがあるので、大変危険である。
・まじめな人もいるが、いろいろな人もいる。元素系の毒物、たとえば蛍光灯が割れて、あわてて生ゴミの中に捨てると、水銀が入ってしまう。
・(日垣)生ゴミの中で腐敗が進み、毒物になることがある。またコゲなどは発ガン物質。
・生ゴミを何十年も使っていると、カドミウムや銅線などは畑にたまってきて、少しずつ悪くなってきて、どうにもならなくなってから気づく。給食を生ゴミとして集め、学校の畑にまいて野菜を作ると、汚いものがずっと継続的に入り、畑が傷む。
・ヨーロッパなどでは生ゴミは非常に管理されている。大量に鶏を処理するところ、ハンバーグ店などは素性のわかったものを一定量引き受けて品質を管理している。生ゴミの中の毒物について管理基準があり、それで使っている。実は、リサイクル以外の世界はすべてそうなっている。たとえば肥料の中には毒物が入っていないか、適切かどうかすべて測定して肥料として売っている。ところが「リサイクル」という名前がついてしまうと、みんなどこかへ抜けてしまって、製品を測定しようとは思わなくなる。
・リサイクルは正しいという先入観が最初にできてしまって、「リサイクル商品」と書くと環境に優しいとみんな思ってしまう。その中に毒物が入っているかどうかもチェックを忘れてしまう。もしくは、リサイクル品のチェックはまったくされていない。
・リサイクル商品・製品のほとんどは固体。これは毒物がどこかについていても、全部を洗わないかぎりどれぐらい入っているかわからない。工業的な製品は必ず原料のところでチェックする。原料は比較的均一なので、そこで水銀は入っているか、カドミウムは入っているか、部品や食品はちゃんとできる。ところがリサイクルはまとめて集め、固体なので測定もできない。そのまま使われている。その一番危険なものは食品である。
・リサイクルは出す側の論理で考えている。食べ残しがあるからどうかしてくれと。建築リサイクルでも、ビルを壊すからガレキをどうしてくれると。言葉は悪いが「東京の論理」。ところがそれを受け取るほうは畑、地方。汚い生ゴミやガレキが来てもらっても困る。今の環境論は力が強い人が勝つので、仕方がないが、出すほうの論理。
・(日垣)自然のためといいながら、けっこうエゴイスティックな、自分たちが見えないところにいってくれればよいということ。
・食品リサイクルについていえば、受け取る側、つまり日本の農業から見てどうなのか。日本の農業はご存じの通り、カロリーベースで40%しか自給率がない。畑の面積ベースだとわずか25%。75%が輸入している。そして輸入している食品の40%を食べ残している。農業に従事している人は日本は格段に違っていて、欧米の農業従事者の平均年齢は40歳前後。日本は60歳を超えた。破壊されている日本の農業に、さらに食品リサイクルと称して都会の食べ残しを持ってくる。それが日本の農業の将来に対してどうなのか。そういう視点から食品リサイクルを考えるべき。出す側から考えるのではなく、受け取り側から考える。そして日本の農業を育てていくようにして考えていかないと、基本的な解決はむずかしいのではないか。
・(日垣)農業の大学に行っている自分の二人の子どもは、日本の世論は考えかたが厳しいと言っている。消費者優先主義だが、鳥インフルエンザの時もたくさん鳥が焼却されてしまう。人間の食べ物のために鳥が殺されてしまうのは農業を破壊する。農家の中には自殺者が出たり、経営が続けられないといっても、鳥を焼き殺せと。それを誰も悲しいと言わないのは、これから農業をしようという学生にはかなりしんどい。
・日本人は今、食糧は、金さえ出せば外国から無尽蔵に持って来られる。しかし世界では現在8億人ぐらいの人が餓死寸前にある。外国では日本に輸出する畑は非常によくて、現地人の畑はとてもひどいというような例が多い。その状態は日本人には見えない。建築リサイクル法ができたり、食品リサイクル法ができたり、お金があればなんでもできると環境問題を考えようとしている。だから農業をやっている人は大変残念な思いをしている。われわれは基本的には日本の資源で生活し、日本で取れる食物で生活するという環境を作るのが、環境問題の基本にある。その意味で非常にゆがんだかたちで出ているのが食品リサイクルや建築リサイクル。
・(日垣)日本人は鶏とは非常に長くつきあってきた。鳥インフルエンザの鳥を食べることもずっとあった。それで大過なくやってきた。今、鳥インフルエンザが、万々が一遺伝子が変わって人間にうつり、蔓延すると大変だとしても、それはどんな動物の感染症でも起こりうる。非常に少ない可能性のために鳥を全部焼きつくしてしまうのは、かなり恐いことだと思う。
・鳥インフルエンザは江戸時代からあり、正月に七草がゆを食べるのは、春になると渡り鳥が来る。カモが鳥インフルエンザの常時保菌鳥、発症しないけれども保菌鳥。それを常時食べるため、体力をつけておかねばならない。そのために七草がゆが出てきた。自分がそういう鳥などの生物と暮らしているという実感がともなうと、鳥インフルエンザに対する社会の態度もずいぶん変わってくる。冷凍食品が悪いわけではないけれど、われわれは今、動植物の命をいただいて生きているという実感を味わうことが大変にむずかしく、空中に浮いているようなものだ。四角い凍ったものをチンとすれば鶏肉になる。そういう時代なので、鳥インフルエンザの騒ぎのような無意味な、われわれの人生や生活と離れた議論に発展してしまう。事実をよく見て。鳥インフルエンザは昔からあって、それと一緒に生活してきた。動物の病気は必ずあるものだ。それが人間にうつるときもあるし、そういう中でわれわれは昔から過ごしてきたのだというところに立ち返るべきだ。
・(日垣)狂犬病は致死率100%であるが、狂牛病(BSE)のように、目玉や脊髄、小腸の一部だとか、極端な部位を食べても感染する率は非常に低く、まったく日本人はそういう部分は食べないにもかかわらず、狂牛病(BSE)が大騒ぎになり、とにかく一頭たりとも、みたいな、鳥インフルエンザと共通するような、気持ちは理解できるし、今のマスコミの論調とは違うので、なに言ってるんだと言われかねないけれども、現実にはBSEは恐るにたらずと言えそうだと思うのだが。
・二つあると思う。一つは科学的な知識、データを正確に見る、もしくは正しいデータがみなさんに供給されること。もう一つは狂牛病や鳥インフルエンザがそうだが、江戸時代になぜ鳥インフルエンザが平気だったかというと、自分の身の回りのことを自分で判断できた。今は社会があまり大きくなりすぎて、自分の感覚だけで判断できないことが増えた。これが市民感覚とか、生活者の判断とかと少しずれてきている。社会全体の発達や拡大と環境問題は密接に関係している。その意味で、データをしっかり見る、また社会が大きくなったときに身の回りのことをどう考えるか、これが環境の基本。自分の身の回りのことと広い世界のことをどういう関係でとらえるか、この二つが漸進していかなければならない。
・(日垣)BSEの発生形態から考えると、クロイツフェルト・ヤコブ病は日本にも古くからあり、現在も患者がいる。それはBSEとは関係がない。毎年何百人が亡くなっていくクロイツフェルト・ヤコブ病には関心を持たないで、一人たりともBSEで亡くなってはいけないというような議論はおかしい。
・実際にそういう人を身の回りに見たり看病したりしていればわかる、全部架空の話なので。数字だけの話なのでわからない。
・(日垣)BSEに感染した牛を食べても感染する率よりは、何百倍も何千倍も交通事故で死んでいく人のほうが多いというと、それは違うと言われ、説得するのがむずかしい。危険性の確率をきっちりわきまえていくと、本当に日常的に危険なものはわかりやすい。他局だが「あるある大辞典」で、もちろんねつ造するのは100%悪くて、報道する側の倫理の問題で、聞く側が悪いというのは言いにくいけれど、納豆を毎日2パック食べてやせると2週間で3.5kg痩せるとか、それは下痢したんじゃないのかと言うような感じがするのだけど(笑)。簡単に信じてしまう、リサイクルが良いというと全部良い、納豆が良いというと全部良いとか、わさびが効くとか、わさびなんて毒は毒なんですけど、素直といいますか(笑)、このあたりは伝えかたの問題のような気がする。
・私も資源とか環境の専門家だが、専門家がどんなに自分の立場が悪くなろうと、専門家として正しいことを発言するというのが非常に大事。それがご都合主義になったりしてはいけない。「そういうことが起こるのはマスコミが悪い、専門家が悪い、社会が悪い、自治体が悪い」といろいろいわれるが、その点では絶対に「専門家が悪い」というのが私の意見。専門家が自分の立場で発言してはいけない。どんなに迫害されても、専門家は自分の専門として正しいと思うことをいわなければならない。それが少しずつ社会に浸透していく。
・鳥インフルエンザのときも、ある専門家は言っていた。「鳥を徹底的に退治してはいけない。昔から日本人はカモなどの保菌鳥を食べながら体の中にウィルスに対する免疫を作ってきた。その事実を今度もちゃんとふまえなければならない」と。これは京都に一番最初に鳥インフルエンザが出たときにある免疫の先生のコメント。そのときはそういうコメントを出すと袋だたきにあう状況。
・自分のことでいうと、リサイクルをはじめようというときに、私がある学会で、「リサイクルするとよけいに資源を使う」という学問的発表をした。そのときに会場から「売国奴」といわれた。私は科学を専門としていて、学会で発表して「売国奴」といわれたのはあのときだけ。専門家が専門として正しいと思うことを発言しにくいという雰囲気でもある。だけれども、専門家はそれを超えて、自分の学問に忠実になるしかない。
・(日垣)納豆じたいはいい食べ物で日本人は長くつきあってきた。日本の専門家に「二日で痩せる成分が納豆に含まれているといってくれ」といって断られるので、海外まで出かけていって、それに近いことをいってくれたらもういただきと(笑)。これは作り手の問題だったけど、専門家の側も鳥インフルエンザやダイオキシンのときに、とにかくそれを全部退治しなければならないんだと。その結果もっと環境破壊になってしまうようなことでもつい言ってしまうという専門家もいた。それは責められないし、データとして正しいかどうかもマスコミの中で議論されない。どんどんいって、次はBSE、次は…… トピックスを作ってそれを全面的に退治しようというような議論になって、今度はそれを忘れて次のテーマにいってしまう。これに対し、個人は専門家の意見にきっちり耳を傾けたり、どういう構造になっているのかと知識をつけて行かなくてはいけないのか、それとも古来日本人は知識がなくてもほどほどにつきあってきた、というようなところに戻ったほうがよいのか?
・社会がここまで高度化してくると、自分の感覚の中で生活するということがなかなかできなくなってきた。リサイクルもそうだが、自分で実際にリサイクルしている間は、こういうものは捨てていい、こういうものは使えると自分の感覚でわかる。だが、今はリサイクル箱に入れてしまえば、ゴミ箱の隣にリサイクル箱があり、ゴミ箱に入れるのと同じ。だがリサイクルに入れると良いこと、ゴミ箱に入れると悪いことと、自分の行為と結果がバラバラになる。そういう社会の中では、専門家がかなりしっかりしていないとまちがう。現代社会の架空性の中では専門家が重要。発言をしっかりとする、どんなに世の中がずれていてもずれないといったことが求められる。これはマスコミも同じ。
・(日垣)戦後はDDTでマラリアの感染を立つために、GHQが日本人の頭にバンバンまくようなことをしていた。だがDDTが全世界で禁じられるようになった。身体にとっていいものでないことははっきりしていたが、DDTがなぜ必要だったのかというと、マラリアなど人命をどんどん奪っていくようなものをストップさせるのに有益だった。ところがある時期から100%悪者になってしまった。そういうときに専門家がいい面と悪い面、リスクとベネフィットをきちんと言ってそれを聞くということがあったら、あんな極端なほうへはぶれなかっただろうと思う。そうしたことを何度も繰り返してきたように思う。
・環境問題は弱い人に目を向けているように見えて、現実的、歴史的に見た環境問題とは常に、強い人が弱い人をやっつけるというかたちで進んできた。今のDDTが一番いい例だが、マラリアの殺虫剤としては非常にいい薬で、目の前でマラリアにかかって死んでいく、だいたいは子どもだが、そういう村ではDDTさえつけば子どもは助かる。現在でもそう。ところが先進国でマラリアがなくなった瞬間に、DDTの規制が始まった。先進国にはもうマラリアはいないから、自分がちょっとでも気に食わないもの、毒になるものは全部排斥してしまう。そこからわずか1000kmぐらいいったところにはまだマラリアがあって、多くの子どもたちがどんどん死んでいっている。そういうときでもストップしてしまう。しかし環境問題は全体のことを考えなければならない。今言われたように、DDTを排斥した歴史、DDTを「悪魔の粉」と言った人たちが多い。全部先進国。環境問題は今でもそうした問題が強い。声の大きい人、力の強い人が環境問題を支配してしまう。でも環境問題は、片隅でそっと死んでいく人たちに目を向けることをうたっている。そういう意味ではDDTの使いかたをよく考え、一刻も早く、マラリアで死んでいく年間百万人(推定)といわれるを救ってあげることが大切。
・(日垣)0か100かみたいに、自分たちが助かったらそこでもう使わない、必要な人にも使わせないような議論のしかたを、今晩を機に考え直して頂けたらよいと思う。
環境問題を「錦の御旗」のように掲げることがよくあります。しかし、「絶対善」や「絶対悪」があるわけではない。結局はバランスを考えることが大切ですね。私も、自分がどちらかというと極端に走るタイプであると自覚していますので、気をつけたいと思います。また、武田氏は毀誉褒貶いろいろあるかたのようですが、このかたが科学にとって誠実なかたではないとしても、「絶対悪」という極端なこともまた、ないと思っています。
【サイエンス・サイトーク】
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武田邦彦「食べ物をめぐるウソとホント」2007年2月25日放送・
武田邦彦「リサイクルは幻想か?」2007年2月18日放送・
松永和紀「食品報道のウソを見破る知恵」2008年02月10日放送」
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サイエンス・サイトーク/青沼陽一郎氏(ジャーナリスト)「中国食品、本当に大丈夫? 2007/12/9」・
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