2008年08月20日

サイエンス・サイトーク/福岡伸一氏「科学的な判断力を身につけるには 2007/11/18」

サイエンス・サイトーク/福岡伸一氏「生きているとはどういうことか」はこちら。

サイエンス・サイトーク/福岡伸一氏(青山学院大学教授、分子生物学)「科学的な判断力を身につけるには 2007/11/18」
話しぶりを聞いてみて、「学者らしい学者」というイメージを持ちました。まじめそうなかたで、私は好感を持ちました。話を聞いていると学者としてだけでなく、教育者としても立派なかたとお見受けしました。学生たちが実社会の中で、科学とどうコミットしていくかを考え、授業に展開していらっしゃる様子が話を聞いてよくわかると思います。

・「腐る」とは生命現象である。金属が錆びることとは違う。食品の栄養素を分解して、酸や毒物ができるという生命現象をわからない人がたくさんいる。
・現代社会において、さまざまなものを他のシステムに預けている現状がある。
・一昔前、豆腐は夜食べるものではなかった。豆腐は夜明けにつくり、朝売る。それを朝餉のみそ汁に入れて食べていた。昼、夕方になるとそれは劣化するという等身大の感覚があった。
・今はそれを他のシステムに預託している。豆腐は殺菌され、パッケージに入れられて売られている。実際にはパッケージ内でも細菌は増え続けており、「賞味期限」となっている。ただし、それはルール、責任問題として理解されていて、生命現象としては理解されていない。
・生命現象は常に時間の関数としてある。時間の軸が動く中で、生命現象は増えたり死んだり生まれたりする連続したプロセス。「賞味期限」はそうした意味を切断し、漂白しており、中で何が起きているか見えなくなっている。
・1時間に2倍になるものが10時間でどうなるか、指数関数的な増え方をするものは脳にはわかりにくい。
・こうした知恵は虚偽に満ちた現代社会を生き抜いていくために必要なリテラシーである。
・等身大の感覚として知り得る部分を持っていることは大切だが、勉強によって知り得たことによって自由になることもある。
・細菌もある一定以下であれば食べても大丈夫。大腸菌が増えていくのを顕微鏡で見るのは気持ち悪いが……
・人間の身体を形成している細胞の数は60兆個といわれているが、消化管の中にはその3倍、180兆個の細菌がいるといわれている。
・人間の「お腹の中」というが、実は「人間は考える管」で、消化管はちくわの穴のように内側に折りたたまれた皮膚の延長であり、消化管の中は身体の外。そこで細菌と人間は共生している。
・共生と寄生のちがいはお互いに利益をもたらしているかどうか。腸内細菌は人間の腸内で独自のコロニーを形成して、必要以上の外的の侵入を拒む先住民的な生活をしている。だから恐ろしいものに感染しないという利益を人間にもたらしている。
・私たちの生命観は、あまりに機械論的な生命観に偏っている。「機械論的生命観」とはミクロのパーツから成り立っているのが生命現象とする理解。
・時計仕掛けで動いているという局面では、時間というファクターが含まれない。
・生命を考える上で、部分は現象に過ぎない。
・分子生物学者の中で、「パーツとして考えない」「時間軸を考えないのは古い」ということを明確な問題意識として感じている福岡氏のような学者は異端。キリスト教におけるグノーシス派のようなものだ。
・大学1年向けに科学リテラシーを教えている。彼らは生物学を学んできていないので「手ごわい」が、同時に彼らは「自分たちが大してものを知らないということを知っている」。その点で彼らには「おびえ」がある。
・語りかたのテクニックは必要だが、「疑う」ことが理解の出発点。
・コンビニで製造日時が新しいものを手に取るのは、同時に防腐剤も新鮮なものを選んでいること。自分たちでサンドイッチを作ったら、36時間たてば食べられない。知るということの楽しさを伝えたい。
・ただしそれは「コンビニのものを買ってはいけない」という結論にはならない。
・「リスク」と「ベネフィット」は対の関係。しかしリスク常に小さい言葉でしか語られていない。
・「リスク」を見きわめ、「ベネフィット」を享受する=コンビニでサンドイッチを買うことはあっていい。しかしそのためにはリテラシーが必要。
・大学の授業では本当のサンドイッチを作らせるわけにはいかないので、食品の裏のラベルを採集して、ソルビン酸、コチニール色素などの聞いたことのないものを調べるフィールドワークさせている。
・自分が食べるものに防腐剤をかけて食べたりはしない。それを不自然と感じる感覚は、想像力を働かせなければえられない。そこに教育の機能がある。
・専門家が素人よりもよくものを知っているとするのはウソと、ソクラテスの昔からわかっている。この世の中のウソの8〜9割は専門家が発している。
・知識の量が大切なのではない。
・ソルビン酸=防腐剤。ではどうして防腐剤になるのかを考えさせている
・細菌は乳酸を栄養素にしているが、ソルビン酸は乳酸と似て非なる「おとり物質」。細菌はソルビン酸を乳酸とまちがい、くわえ込む。しかしソルビン酸には長いしっぽがあり、細菌の代謝がブロックされてしまう。細菌はそれ以上増えることができなくなる。ただ時間がたつと細菌はソルビン酸を離したり壊したりして盛り返してくるので、いつまでも効くわけではない。
・ソルビン酸は人間の身体には影響をほとんど及ぼさないので、食品添加物として認められている。
・大学の講義のタイトルは「毒と薬」だが、毒と薬は一枚の紙の裏表。人間の細胞に直接影響を与えないが、それは試験管の中で人間の細胞と一緒にして混ぜても何も起こらないということ。ソルビン酸は人の消化管の中のたくさんの腸内細菌を障害する。人間に直接の害はなくても、人間という「生態系」には影響する。ソルビン酸を食べ続け、腸内細菌が常時ソルビン酸にさらされると、人間の消化管はそれなりのダメージを受けるはず。だからソルビン酸を単に保存に便利だから食品にたくさん入れていいとはならない。必要悪としてのリスクとベネフィットが表裏一体となっている。
・高校時代に生物学を学んでいれば講義はラク。学んでいないところを出発点としている。
・彼ら(学生)と自分たちとでは、教養の成り立ちがちがってきている。彼らがものを知らない側面もあるが、「なにごとかを知っている人たち」でもあり、「何かを知りたいと思っている人たち」でもある。その点で変わってはいない。
・基本的な希求は同じ。彼らはお仕着せの勉強ではなく、「大人扱い」されることを望んでいる。「大人扱い」が、旧制高校時代は教養主義であり、今ならコンピュータゲームや収集など、あるフィールドに入ると「大人」として扱われるところが必ずある。ネット社会になって、そういうチャンスがいっそう増えた。
・仮に中学生でも、そういったネットの中で大人扱いされると、その分野をさらに深く掘り下げていく。そこに知的活動のリテラシーの基本的な訓練の場がある。
・科学(サイエンス)は、数式やデータ、グラフ、顕微鏡の写真など、客観的なものとしてあるように見えるが、それは一つのプロセス。大事なのは、そういったアウトプットとして、それらがどういう意味を持っているのかということ。それはシンプルで単純な言葉で語られるはず。それを伝えるのが分子生物学者としての自分の大事な役割。もしシンプルでも単純でもなければ、まだ現象が十分に解明されていないのか、語っている本人が理解していないかのどちらか。サイエンスも言葉であるという部分が大事。

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posted by zxcvaq at 05:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | サイエンス・サイトーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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